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Stay hungry,Stay foolish

様々な自己啓発を元に、25歳の平凡な私が成功するまでリアルタイムでお届けする物語。※成功したお話ではないので、成功するかは分かりません。

Brave

こんにちは。Kotaです。

もう気候が夏ですね。暑すぎます。

 

さて以前にも少し触れましたが、アドラー心理学が私に多大なる影響を与えています。

アドラーについては、かなり掘り下げて記事にしていきたいので今本を読みながらまとめているところです。

 

そのアドラーの中でもよく出てくる”勇気づけ”という言葉。

 

アドラーが言うこの言葉の意味はまた違う記事で書きたいと思いますが

今回は”勇気”という言葉について考えてみたいと思います。

 

先日、可能性の中に生きる事ができる人は強いという話をしました。

⇩⇩

k-labo.hateblo.jp

 

誰も分からない未来の可能性に1歩を踏み出せる人が、

自分の人生を決める事ができるのではないかという話です。

そして”ゼロを1に変えられる人”は、もれなく勇気を持っている人だと思うのです。

 

1歩を踏み出す勇気。

誰でも新しい事とか分からない事に対しては躊躇すると思います。

そして出来ない理由ばかり並べて結局やらない。

皆さん経験あると思います。私はこんな事ばっかですよ。

 

仕事が辛いからやめたい。けど、辞めたあとにどうなるか分からない。

本当に仕事見つかるの?私にできる事って無いな。。

だったら辛いけど今のままでいいか。

 

私の周りにもすごく多いです。

でも本当にそれでいいの?って思います。

本人が良いなら別に構いませんよ。

俺の人生じゃないですから。

 

でもその気持ち、自分に嘘ついていませんか?

辞めたあとの自分の人生は、辞めた自分が決められるんですよ。

本当に辞めたいと思っているなら、環境を変える”勇気”が必要なんじゃないでしょうか。

 

仕事じゃなくてもそうだと思います。

好きな人がいて告白したいと思う。

でもふられてしまったら?他に好きな人がいたら?今の関係が壊れたら?

ネガティブな理由ばから並べて、動かない人結構いると思います。

 

でも、ここに勇気があったら?

 

もしかしたら付き合えるかもしれない。

もしかしたらあの子も僕の事が好きかもしれない。

この可能性の中に踏み出せますよね。

そして、環境は変わる。

 

付き合えるかもしれないし、ふられてしまっても次につなげる事ができる。

少ししかなかった可能性と選択肢が、一回の”勇気”によって爆発的に広がると思いませんか?

 

勇気を持って仕事を辞めた結果。

今よりも自分の時間が確保できた、給料が上がった。

 

こんな事があるかもしれません。

この可能性に飛び込む事ができるのは、”勇気”を持っているからではないでしょうか。

生きていく上で最も大事なものと行っても過言ではないと思います。

 

勇気があれば、ネガティブな思考が可能性を考えられるポジティブ脳に変わる。

勇気があれば、自分を変えられる。そして環境が変わる。

環境が変わると周りが変わる。そして変わった周りにまた自分を変えてもらえる。

 

良いルーティーンが生まれると思いませんか。

 

私はこの”勇気”を持って生きていきたいです。



いつも最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。

 

Thank you!!

 

Kota

 

 

 

 

Diary at morning

こんにちは。Kotaです。

 

早起き実践中ですが、連勤が続くと6時起きができない時があります。

意思の弱さが目立ちますが、無理をして体を壊しても意味がないと思うので、

自分の体の声もしっかり聞くようにしています。

それでも、一度決めた6時起きを守れないのは自分に負けた気がしてとても悔しいので頑張ります。笑

 

さて、モーニングメソッドの中で朝日記を書いていると以前言いましたが、

その朝日記についてお話をしようと思います。

 

そもそも、日記を書くという行為自体が私は面倒でとても嫌いでした。

得に、小学生時代の夏休みの宿題にあった絵日記。嫌いすぎて、書いていたのはお父さん。笑

自分もお父さんになったらそうなるのでしょうかw

 

さてそんな私が日記を書こうと思ったのは、一人旅がきっかけでした。

もともと旅好きで20歳の時に一人旅を始めました。

最初はデジカメで旅の思い出を残す程度だったのが、

カメラにはまり、本格的にカメラを始め...

最初のうちはカメラで満足していたのですが、

非日常を過ごしている時の感情とか考えとか、それも残していきたいと思うようになりました。

その中で日記を書き始めたんです。

旅の最中は、どこどこに行ったとか、誰々に出会ったとか、こんな事があったとか、

そこで何を思ったのか。とかありふれた内容を書いていました。

 

その習慣が日常に戻ってきても続き、日記が習慣化していきました。

でも、毎日毎日書いていたわけではありません。

 

俺の日常にそんな書く事ねぇよ!!!ってなりましてね。w

 

だから書きたい時だけ、書くみたいな感じでした。

今思えば、毎日書こう!って決めてなかったのが継続できた理由かもしれませんけどね。

 

で、いつも夜に書いていたんです。

今日はこんな事があったとか、誰々と遊んだとか、こんな事を思ったとか。

 

その日を振り返っていたんですね。

でもある日気づいたのです。

俺は過去を振り返って何をしたいのだ。と。

過去を振り返ったところで、今の俺は変わるのか?

と。

 

未来をこうしたいから、今俺はこうする事が大切なのではないか。と。

それで朝日記に変えたんです。

朝は面白いですよ。

寝起きのぼーっとした頭でペンをとると、自分でも何を書くか分からない。

でも基本的にはポジティブな事が出てくる。

 

未来の事は分からないから、否定的な事がでてこない。

今日はこれがしたいとか、誰々に会いたいとか、今日頑張って仕事早く終わらせるぞ!とか。

 

そして書いた事が自然と実行できる。

 

これは占いに似ていると思うのですが、

占いは、”あなたの未来はこうなるでしょう”とか言われて

それを漠然と信じていて、そのとおりの行動をとってしまうのではないかと思っています。

血液型占いとかもそうですよね。A型は几帳面とかO型は大雑把とか。

言われると、そんな気がしてそういう行動をとってしまう。

そして占いすげぇ!!ってなる。笑

 

要は自分の考え方とか思い方、捉え方次第で、いくらでもどーにでもなるって事。

 

だから朝日記に書いた事も、ありえないような事でも少しずつ現実になっていく。

その日に会いたい人に会えなくても、連絡をとろうかなってなって数日後に会えるとかね。

 

書いた事が現実になる。

そうだとすれば、でかい夢かきたくなりますよね。

プラスのスパイラルに自分を落とし込めると思うんです。

 

日記に何をか書かなきゃいけない。なんてないですよね。

自分しか見ないんだし、でけぇ事書くと面白いですよ。

 

笑っちゃうような事も書いてみると、できるかも!!って気持ちになる。笑

 

みなさんも一度挑戦してみてください。朝日記。

かなーりオススメです。



いつも最期まで読んで頂き誠にありがとうございます。

 

Thank you!!

 

Kota.

 

 

 

 

Pass away

こんにちは。Kotaです。

 

連休も終わり今日から仕事再開という方多いでしょうか?

私は連休中仕事でしたので、今日がお休みです(笑

 

さて、今日のタイトルに書きました

"pass away"

日本語に直すと、時が過ぎ去るとか苦痛などが消えるなどの意味がありますが、もう一つ

 

”亡くなる、死亡する”

 

という意味があります。

英語では"die"という言葉がよく知られていますが、直接的なのであまり使わないらいしいです。

なんでこんな話をしたかというと、私の実家で飼っていた犬が昨日、pass awayしました。

以前から体調は悪く、いつかはくるだろうと思っていましたが最期は早かったです。

 

私は、中学を卒業した時に親友を一人失いました。

なんで逝ってしまったかは未だに知りません。

なんとなくは検討ついていますが、聞いた事が無いのでわかりません。

 

それ以来、死というものがものすごく怖いです。

それ以来というか、親友がいなくなった事をきっかけに死というものについて考えるようになり、

だんだんと死が怖くなってきたという感じでしょうか。

 

命あるものはいつか死ぬのになぜ生きているのだろうか。

なんの為に生を授かるのだろうか。

生命とはなんだろうか。

私とはなんだろうか。

みたいなね。

分からんです。

 

死に対する恐怖は、親鸞も語っています。

覚えていますか?歴史で勉強しましたね。親鸞浄土真宗の宗祖です。

彼は仏を信じ、念仏さえ唱えれば極楽浄土にいく事が出来ると説いた人です。

しかし、ある日弟子にこんな事を聞かれたそうです。

 

”念仏を唱えれば極楽にいけるというのに、歓喜の気持ちも早く浄土に行きたいという気持ちも起きません。これはどういう事でしょうか?”

と。親鸞はなんて答えたと思いますか?

 

”この親鸞もそれを疑問に感じていた。お前もそう思っていたのか。”

 

念仏を唱え、極楽浄土を信じている浄土真宗の宗祖でさえ、

死への動揺と恐怖があったのだと思います。

宗教も死への恐怖が生んだものなのかなとか思ってしまいます。

この矛盾は命ある以上、拭えないものなのではないでしょうか。

極楽が本当にあるかどうかわかりませんが、

生きている以上、自分の人生をまっとうする責任が自分自身にあります。

生きている今を極楽にする事が大切ではないでしょうか。

 

周りの目を気にするとか世間の常識にとらわれるとか。

死というものを考えたら、どれだけ愚かな事なのでしょうか。

自分の人生をまっとうしたいです。

 

明日死んでも悔いの無い人生であるよう、今を一生懸命生きたいです。

 

 

 

Kota.